オーソドックスができなければいけないと言われたことを思い出す。

若い頃、妙に力んで奇をてらって目立つクリエイティブばかりが頭にあった。師は言った。

「オーソドックスができなきゃだめだ」

しかし、私はその後も奇をてらい続けた気がする。ずっと奇をてらい続けていたら、何となくオーソドックスができるようになっていた。

そう考えると、奇をてらう中にもオーソドックスの芽があるのかもしれない。

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